薬師川と早池峰山 1998年1月
正確にはわからないが、アイヌ語からその語源が来ており「森に住む」という意味らしい。昔(戦後)、国有林の払い下げによる入植地として、最大50世帯を越える人達が暮らしていたという。付近は森林鉄道が走り、人々は主に林業、農業に従事していた。昭和のアイオン台風により、大きな被害が出て、またその後の社会情勢の変化の中で、大多数の人々はここを去って行った。
しかし今、タイマグラも変わりつつある。田舎暮らしをしたいという人々が場所を探しに来る。有機農業をやりたいという人も来た。別荘ができた。桶を作る職人が住み着いた。新たな入植者が増えつつある(私もその一人である)。今定住世帯は10世帯ほど。点々と家が散らばっているーそんなところである。およそ6年ほど前に電気が来た、けれどまだ電話がない人が大半だ。「人が住む」という条件においては、昔も今も大差ないのかもしれない。しかしここへ好んで来る人がいることは事実である。
なぜ、タイマグラか?
ここには、いわゆるブナの原生林などの原始の景観、温泉などの施設、そう言った特別な“観光資源”があるわけではない。東北の名峰、花の山「早池峰山」を仰ぎ見る景観以外に何もない所である。その早池峰山にいたっても、登山口のある反対側の大迫町から登る人が大半を占め、川井村側から訪れる人は稀である。ごくありふれた山里であり、いわゆる過疎の村である。 では、なぜタイマグラなのか? 私も最初は白神山地や朝日連峰に広がるブナの森に憧れた。あんな森の中に住みたいと思った。そうすればさぞかし動物もたくさん見れるだろうと…。しかし、待てよ?動物達がそうした原生林にしかいないわけではない。それにそんな原生林は日本中探したって、たかが知れているし、そういう手付かずの自然はそのまま残すべきであり、そこには人が住むなんてことはあまり好ましくない。今、やらなければならないのは、過去、人間に利用されて、今は放置されて残ってしまった“山”を見直すことなのではないか?山村の過疎・高齢化の波の中、このままでは東北の、日本の、山人達の智恵は、知らないままに忘れ去られていく。そこには文化の喪失といってもいいくらいの重要な部分がある
にもかかわらず…。一方で原生林を追われた動物たちは、今では里山を根城にしているものも多い。それは太古の昔から日本人という民族と同じ土地を共有し、共存してきた(させられた?)、彼らの適応である。これもまた、我々の国土の持つ特色である。この辺りには原始の森はないが、私の専門とする野生の獣は一通りいる。数は多いのか少ないのかまだ分からない。タイマグラは「何もない」山の中かもしれないが、それを見る人が「見る目」を持ってないから何も見えないのであって、「何もない」所など、この世には存在しない。
これからの再重要課題は「森林の再生」
「雑木林」、「里山の自然」、最近富みに現れてきている言葉である。それらを見直そうという動きであり、再生しようという動きもある。だが、かつて人間がそうしてきたように、利用するものとして見直そうというのではなく、生き物の集まる空間として見直そうと考えているところが、いい。 自然の再生は容易なことではない。「森を作る」― 木の成長一つ取っても、自分の一生どころか、ヘタすれば孫子の代までかかってしまう大事業である。だがそれでもやろうという人が出てきたことは、見習いたいと思う。なぜ今こんなことになってしまったか?は、結局皆が目先のことばかりにとらわれた結果と言えなくもないからだ。 人間は木を切ってきた。日本人にいたっては、はるか縄文の頃から木を倒して利用してきた。長い事、「木は勝手に生えてくるもの」と思ってきたツケが今回ってきているのではないか? 人間も利用できて、他の生き物たちにも喜ばれるような森。そんなできるかできないか分からない話だから、“夢”と言えるかもしれない。けれど、そんな夢のような話に乗って来る人がいればいい。人間はまず自分がいいと思ったことを始める。あとは、自然が答えを出してくれ
る。「そこにある木で家を作る」そんな、昔は当たり前のことが、今はできなくなった。私もこれから家を建てたい。なるべくそれに近い形で。そうしなければ、私のような凡人は、「木の有難み」がわからない。そして、使った分は後の人達のために、また再生できるようにしておく。これも昔は当たり前の考えだった。